菩薩

escargotskin2011-08-15

今朝、ドアを開けるとそこに
蝉が落ちていた。
とうとう本当にそんな季節か。
と思ったところで
脚をばたばたし始めた。
ひっくり返ってから、そうとう時間が経っているのか
疲れて休んで、少しバタバタさせてを繰り返してる。
蝉の羽根の角度の構造上、足をバタバタさせても
全く起き上がることは出来ない。
いわゆる「悪あがき」だ。


私も経験が無い訳でもない。
そして「悪あがき」する人に手を差し伸べる人など
ほとんど居ないことを知った。

だけど私は苦労人ではない。
肉体を共わない
目に見えないしんどさを世間は「苦労」とは認めない。
私的には「苦悩」
世間的には「馬鹿」と呼ぶのだろう。
馬も鹿も美しい動物だから
私は好き。
あざけりの言葉として、もったいないような気がする。

みんな、自分のことで精一杯
その上、自分では闘ったこともなく自信がないものだから
勝ち馬に乗りたくてしょうがない。
倒れた者に手を差し伸べる余裕も感性も
持ち合わせているような大海原のような人はごく少数だ。


でも勝ち馬かも知れないと錯覚された時分は人が集まる。
満ち潮と引き潮。
結局泥まみれになるしか無かったけれど
涼しい顔をしていたら
周囲は、知ってか知らぬか素敵な勘違いをしてくれた。
基本、人達は刹那だ。
蝉の一生のように切ない。
だから、私も忘れよう。
とはいえ
記憶というのは残酷だ。

いっそ、初期化できればいいのに。


たとえ残り数日でも数時間でも数分でも
転がったまま、起きれないよりマシだろうと
瞬間菩薩の私は足をさしだして
あがいている蝉をひっくり返した。


靴に登ってきて、一瞬慌てたけれど
すぐに、ばたばたと不器用そうに飛んで行った。


今さっき真夜中に「ジジッ」と蝉の中途半端な鳴き声を聞いた。
寝言だろうか、鳴き方の練習だろうか、産声のようなものだろうか。