文具

escargotskin2010-10-02

先日仕事の用事で伯母さんが家に泊まりに来ていた。
そのとき間違ってわたしの鉛筆を持って返ってしまった。
探しても見当たらないのでメールしてみると、知らないという返事が来た。
でも、ないし、確か伯母さんは何かメモするのにその鉛筆を鉛筆立てから無造作に選んで
手帳にメモをしていた。
だから、「あのとき手帳にメモするのに使っていた木肌色の鉛筆です。」とメールしたら
手帳に挟まっていたようで、メール便で送ってくれた。
図書券とか商品券とかついていて吃驚した。
きっと伯母さんも吃驚したのかも知れない。
メールには書かなかったけど、絵にサインするときに使っている鉛筆だ。
今すぐに必要な訳ではないけれど、
「たかが鉛筆」と思われているといつの間にやら何処かに紛れて行ってしまうかも知れないので
早めに連絡をした。
人間関係を円滑にするにはあまり良いことでは無いと思う。
鉛筆なんて買ってきたらいいじゃないかって。
でも、その鉛筆は混じりけがあってとても書きにくい鉛筆なのだ。
だから高校生の時買ったのだけど、ずっとあまり使わずに居た。
なんとなく、鉛の部分に混じりけのあって、異物感が書いているときに微妙に手に伝わってくる。
でもその書きにくさが、頑張って綺麗にサインする際には丁度よかった。
その粗悪な鉛筆を使った後、トンボとかステッドラーとかブランド鉛筆を使うと
書き味がとても良い。
でも文具店に言って「書き味のよいものを下さい」と言えば
店員さんはニコニコと案内してくれるだろうけど
「書き味の少々悪いのを下さい」と言ったら、ちょっと困ると思う。


むかし、会社に居た頃も勝手に鉛筆をとなりのとなりの女性編集者が勝手に使っていて驚いた事があった。
たぶんその人もたかが鉛筆と思っていたのだろう。
そのとき使っていたのはピンクのド派手キャラクター鉛筆だ。
普通は小学生くらいしか使わない。
でも、ちょっと馬鹿にされてるように感じたので
あの光景は、こういう時蘇ってくる。
その時は、鉛筆をぽいってデスクの上に置いて帰ってしまったので
後で回収しておいた。


もし万年筆だったならばこういう事は起こらない。
文具に愛着をもっている私のほうが
きっと異常なのだということは、わかっているけれど。


自分にとって大切なものや人が
他人にとってどうでもいいということはよくあることだとしても
やはり腑に落ちないような、消化しきれない気分が残されている。