カウンターテナー

先月行った結婚披露宴で湯澤幸一郎さんが歌ったAVE MARIA
YOUTUBEにカチニカバージョンがあったので、あげておきます。
この時は青山MANDARAだったのだが
私も行った。ピアノの人がドイツから帰ってきて凱旋ライブだったの。


テクノのピコピコ音も人工美だけど
カウンターテナーもかなりな人工美だと思う。
(耽美とか他の表現もいっぱい在るがね)

歌っている本人的には
それほど自然に抵抗してるつもりはないと思うけれど。

やっぱり希有な存在。


以下は以前湯澤さんのインタビューの時に
雑誌に載せたカウンターテナーについての文面。

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15〜16世紀頃の中世ヨーロッパでは「女子は教会で黙すべし」というキリスト教の教えが重んじられ、女性が教会で歌うことが禁じられていた。その為、聖歌隊の高音パートは変声期を迎える前のボーイ・ソプラノの少年達と、成人男性がファルセット(裏声)が担当していたが、これがカウンターテナーの起源とされているようだ。やがて聖歌隊から独立し、ソロ歌手として活躍していったことにより、カウンターテナーが認知されていくようになった。

 17世紀に入ると少年期の去勢という究極の身体矯正によってカストラートが誕生する。
このカストラートは、少年の声と男性の肺活量、女性ソプラノの音域と幼少期からの音楽英才教育によって、現代では想像不可能なほどに凄まじき歌唱技術を体得していたという。
その驚異的な声に、両性具有的な魅力によって、カストラートは絶大な人気を博し、カウンターテナーに代わって、声楽界においての最高地位を獲得する。一方、当時の貧困層の親によって去勢手術を強いられる少年達が増え、年間数千人の少年達が手術を受けた。
 この当時の医療技術は未発達だったため、去勢手術の失敗によって死亡に至るケースも多かったようだ。
その為19世紀末には非人道的であるということで、去勢手術が禁止され、カウンターテナーは復活をはたす。

しかし、人数が少ない為か伝統的なクラシックの人達からは、まだまだ地味な存在で、バッハのオラトリオ、マタイ受難曲エヴァンゲリストの役をやる場合にだけ、通常はテノールを勤める歌手がカウンターテナーになる、というぐらいの見解だった。

そして、20世紀末からはクラウス・ノミなどが登場し、カウンターテナーに新たな角度から、スポットが向けられ始めている。カウンターテナーというものの概念が少しずつ広がっているようだ。